keimaejimaの日記

リクルートでエンジニアやってますが、ここでは情報社会論的なことを書きます

民主主義の限界と可能性

さて新年2回目の記事は民主主義についてです。

2011年は大阪のダブル選挙があり、橋本徹さんが75万票以上を獲得して市長に当選した事が大変話題になりましたね。
「日本の中で一番重要なのは独裁ですよ。独裁と言われているぐらいの力が日本の政治に求められている。」「政治はやっぱり独裁をしなきゃいけない」といったある意味過激な発言をする橋本氏が支持されたという事は、国民の中に民主主義に対するある種の諦めというか、絶望感があったのではないかと僕は思います。
確かに、民主主議は多数の意見を取り入れられる全国民の平等を標榜している日本国に適した制度だと言えます。
しかし、欠点が多々あり近年それが露呈してきた事により先のような選挙結果が生じたのではないでしょうか。
今回は僕なりに民主主義の欠点とそれを改善する方法について考えてみようと思います。


【民主主義の起源】
民主主義の意味は基本的には「ある社会の意思決定がその構成員全員によって行われている状態」というところです。
民主主義の起源は一般に古代ギリシャだと言われているようです。
デモクラシーの語源は古典ギリシア語の「デモクラティア」だそうです。
民会が有名ですね。
独裁の起源は富や食料の貯蓄が始まった頃だと言われていますから、独裁が無い状態を民主主義と考えるならばその起源はもっと時代を遡る事になりそうですが、独裁が「無い」状態と民主主義は異なる状態であると僕は考えます。
なぜなら、古代においては独裁も民主主義も無い状態で、社会においてある種の意思決定が行われていたのでは無いかと思うからです。
(あくまで推測の域を出ませんが、人類(ホモ・サピエンス)が言語を獲得してからも独裁でも民主主義でも無い状態で集団での狩りなどが行われていたのではないかと僕は考えています。それはいわば各々が本能のままに動いた「結果」であり、共通の意思決定プロセスなどはありません。)
この辺は本記事の主題ではないので議論を避けます。


【民主主義の反対は?】
民主主義の反対は先に挙げた意味の反対ですから「ある社会における意思決定が個人もしくは一部の構成員によって行われる状態」という感じになると思います。
君主制とか独裁とか専制とか言われるやつですね。
少し前までは人類史においてこのような制度が当たり前に存在しました。
革命や諸処の市民活動によって制度が崩壊して現在に至る訳ですね。
これらの制度をとっている国家は現代でも世界に存在するようです。
例えば北朝鮮や中国、ついこの間までエジプトもそうでしたね。
現代の世界において専制政治は排除の対象であるように感じます。
それはいわゆるグローバル化の影響が大変大きいのではないでしょうか。
今のところアメリカを含む西側の価値観が世界を席巻していると見て良いのではないでしょうか。
そうなる事も頷けます。だれだって自分の意志や利害が社会の行く末に反映された方が嬉しいですよね。
誰かの利害によって自分の生活を決められたくはないはずです。
ですが、単純に専制政治が悪者で民主主義が正しいのでしょうか。
最初に言ったように僕も含めて、現代の日本では民主主義の制度そのものに限界を感じている人が少なからずいるように感じます。


【日本における民主主義の弱点】
民主主義の弱点を日本の国政を例にとって挙げてみます。
まずは意思決定のプロセスが遅い事です。
専制政治であれば個人もしくは少数の意思決定によって国政の行方が決められるので、プロセスとしては桁違いにハイスピードです。
そして、国民の代表者すなわち国会議員が国民投票によって選ばれるためなかなか大胆な事が出来ないという現状があると思います。
志があって、大胆な改革が必要だと考えていてもそもそも議員でいられなくなる事が怖くてなかなか言い出せないという方もいるのではないでしょうか。
逆に民意が的確に国政に反映されない可能性も指摘できます。
例えば少数が構成する社会であれば直接民主制すなわち社会の構成全員が政治に口出しをするという事が可能ですが日本国ではそうはいきません。
国民は自分の意見に一番近い候補者を選ぶ事しか出来ません。
限られた時間の中で限られた手段による情報伝達ですので、候補者の正確な思想が伝達できているかどうかも疑問です。
一票の格差」問題などはそもそも民主主義として制度が成り立っていないのではないかという指摘です。
確かに国民一人一人が国政へ意見できる制度が平等でなければそれは民主主義とは言えないのではないでしょうか。


【代替となるような制度はあるか】
民主主義に弱点が多いからといって専制政治を採用しようという人はほとんどいないのではないでしょうか。
では、民主主義でも独裁でも無い制度は存在するのでしょうか。
どちらかの改良版みたいなものは先人達が色々と生み出して来たようです。
たとえばプラトンが考案した「哲人政治」が挙げられます。
この制度は民主主義が愚かな為政者達によって衆愚政治に陥ってしまうくらいなら、哲学的な教育を受けた高度な倫理観を持った人材によって統治を行わせようというものです。
確かに、高度な知能と倫理観を持った人になら国の行く末を任せても良いですよね。
実は僕は密かにこの考え方のファンなんです。なんだか夢があります。
そのような人材なら自分より遥かに懸命な判断を常にしてくれそうです。
しかし、現実には国民の全てを納得させるような政治判断を下せる知性と倫理観を持った人間など存在しません。
こういったように過去に考え出されてきた代替案達は理想高いものであっても、どこか非現実的な面を含んでいたのかもしれません。
僕たちの社会においては、現行の民主主義をあーでもないこーでもないと良いながら改良していくのが良いのかもしれません。


【僕はこう考える】
僕なりに、現行の民主主義について口を出したい事が結構あります。
まず、僕はインターネットの活用が絶対だと思います。
現状日本では国政選挙において選挙活動にも投票にもインターネットを使う事はできません。
理由は色々とあるようですが、どうも既得権益が大いに絡んでいるようです。この件についてはまた別の記事で書きます。
インターネットは民主主義に大変適したツールだと僕は思います。
ミクロな人々の欲求をくみとってマクロな施策を打たなければいけないという事が間接民主主義政治の永遠のジレンマだと思うのですが、インターネットはそのジレンマを多少なりとも解消してくれると思うのです。
インターネットによって候補者と有権者が繋がる事でよりきめ細かい民意の把握が可能になるとともに、逆にある種の俯瞰といいますか大変マクロな視点での民意の把握も容易になります。
また、有権者の側も候補者が何を考えているのかをより明確に知る事ができます。
あと、僕は戸別訪問もOKにしてはどうかと思うのです。ただし資金によって差がつかないように、候補者本人に限ってですが。
マニフェストや街頭演説だけでは候補者の全てを伝えるのは到底無理です。
近年は国会議員のそもそもの人格が問われるような出来事も多々起きていますので、直接会ってみて判断するという事がより重要視されても良いのではないかと思います。
会って話さなければわからない事もあるはずです。

現状の民主主義に不満もありますが、人類の先人が命をかけて勝ち取り、そして広めて来たものでもありますので、そう簡単に見限って良いものでは無いと思います。
残るものにはそれなりの理由があるはずです。
フラストレーションによって急激な変化を望むのではなく、まずは出来る事を色々と試してみてはどうかと僕は思うわけです。

ではでは。