keimaejimaの日記

リクルートでエンジニアやってますが、ここでは情報社会論的なことを書きます

疑うということ

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一秒の新基準が決まったとちょっと前の新聞に書いてありました。
http://www.asahi.com/science/intro/TKY201211010717.html
どうやら、その計測法によれば宇宙創成時から現在までを計測しても一秒のズレもでないのだそうです。

一秒の長さが変われば、当然一分、一時間、一日、一年、そして人の一生の長さも変わってきます。
僕たちが普段当然のように使っている一秒という時間の単位、これが人によって定義されたものに過ぎないということですね。

数学者の岡潔氏が小林秀雄氏との共著『人間の建設』で、”「1」というものの定義はまだだれもできていない。ただ、生まれて初めて意識をもって、自分の身体を動かした時の身体感覚を覚えていて、それを「1」と表現しているだけなのだ。”
こう言っていました。

また、加藤周一氏は”世界の中で消えるほど小さい、個人の意識が全世界に意味を与える。一人の人間が全世界に意味を与えることができるのだ。”と言っていました。

僕たちが自明視しているもので、実は定義が曖昧なものって実は沢山あると思います。
だから、物事がなんだかしっくりこない時には、とことんまで疑ってみるのも手だと思います。
特に先の「1の定義」レベルの問い、例えば「幸せ」の定義とか、「私」の定義とかを考えてみると、「1秒の定義」が変われば「一生の定義」が変わるように、世界全体の見え方が変わるということがあるのではないでしょうか。
誰にでも、自分が見ている世界を形づくるいくつかの礎があるはずなので。

何を言いたいかというと、「世界」は案外ぐにゃぐにゃと柔軟で動的なものですよと。
あなたを苦しめるものがあればそれを消してしまうこともできますよと。

(サルバドール・ダリ「記憶の固執」)