keimaejimaの日記

リクルートでエンジニアやってますが、ここでは情報社会論的なことを書きます

あんな先輩にはならない

ふわっとした文章なので、ご自由に想像しながらお読みください。


「あんな先輩にはならない」とか「俺らの代からは変えようぜ」ということば、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

このことば、きっと何十年も昔、もしかしたら何百年何千年も昔から言われ続けているのかもしれないな、と思います。

なぜなら、冒頭のことばを言っていた人たちの多くが時を経て、同じことばを言われる立場へと変化しているからです。

なぜ彼らは冒頭のことばの通りに行動しなかったのでしょうか。

理由のひとつは、制度がいわゆる「先輩」にとって居心地がよく、都合が良いように設計されているから。

制度や仕組みをつくるのは多くの場合「先輩」です。

「後輩」だった時には憎らしかった制度も「先輩」になった瞬間に保守すべき対象へと変わります。

もうひとつの理由は、「ここまで自分たちは耐えて頑張ってきたんだから、楽しても良いだろう」という気持ちが、行動の変化に正当性を与えてくれるから。
心と環境の双方から後押しを受けて、抗うことができる人は多くないのかもしれません。 

そうして人は変わっていくのでしょう。

こういった現象は社会の随所に存在します。

一面では、この「先輩後輩構造」によって社会の均衡が維持されている、という見方もあるでしょう。

しかし、実社会では、「先輩後輩構造」の維持にコストがかかる、「先輩後輩」間の権利に不均衡がある、「先輩後輩」の絶対数が不均等であるetc.....社会そのものの存立を危うくするような 場面が多々あります。
 

ひとつ僕が言いたいのは、「先輩の立場にあぐらをかく前に、先輩後輩関係なく、みんなが幸せになれる方法を一緒にめいっぱい考えてみませんか」ということです。

誰かがどこかで変わらない限り、構造の連鎖は続き、破綻にいきつきます。

諸先輩方が今まで努力してきたことも事実ですから、僕はあまり強いことは言えないのかもしれません。

しかし、「今まで頑張って耐えてきた」ことは「後輩」たちを苦しめることを正当化する根拠にはなりません。

僕もいずれは先輩の立場にあぐらをかいてしまうかもしれない。

だからここで宣言して、自分の弱さやその他色々になんとか抵抗したいです。
「あんな先輩にはならない」。