keimaejimaの日記

リクルートでエンジニアやってますが、ここでは情報社会論的なことを書きます

幸せとは何か

-色んな人の定義-

幸せとは何か、ということを最近よく考えます。

理由は色々とあって、たとえば久しぶりに会った人が僕の価値観からすると全く幸せでない暮らしぶりをしているのに、すごく幸せそうにしていたり。

そういった時に、幸せって何だろうってすごく考えさせられます。

過去、何人もの学者や思想家や宗教家が幸せとは何かという定義について、一般性もしくは普遍性を持たせるような努力をしてきました。

それほど幸せというものが人間の根幹に関わるものなのでしょう。

僕は、自分が今までに触れてきた、そういった定義の中では社会学者の見田宗介先生のものが一番しっくりきました。

 

-幸せの三つの軸-

見田先生は人が幸福を感じる時(正確には対自欲求、すなわち自分がこう有って欲しいという欲求が満たされるとき)には三つの軸が必要だと説いています。

まず一つ目は「創造」です。自分が物質的であったり概念的であったりする、何らかのものをつくり、それを認知することで幸福を感じるのです。確かに、芸術作品だったり、会社だったり、政治だったり何かを成し遂げた人は満足そうな顔をした人が多いですよね。

二つ目は「統合」です。人は自分が過去に成し遂げてきたものを振り返って、幸せを感じるのです。一時一時の「創造」の積み重ねは、時が経つにつれてその人の幸福感を増幅させるのでしょう。

そして、三つ目は「愛」です。人は自分が愛する人に愛されていることを実感することで、幸せを感じるのです。

 

-すべては相対化できる-

見田先生の言う三つの軸が満たされたときに人は本当に幸せを感じるのかというと、必ずしもそうではないのかもしれません。

時間や価値観という評価基準を導入すると、全ての軸は相対化されてしまうのです。

たとえば、どんなに立派な成果物も時間が経てば全ては砂塵に帰してしまいます。

どんなに素晴らしいと思える芸術作品も、ある時代のある人々にとってそうであるにすぎません。

そして、永遠の愛など存在しないのかもしれません。

というか、そもそも幸福という感情そのものが脳が作り出した疑似環境に生じた表象に過ぎないのです。

そうやって全てを相対化していくと、この地球上に本当に幸せな人なんて誰もいないのかもしれない、と思えてきます。

 

-幸福の相対性をどう乗り越えるか-

しかし、そうやって日々を生きていくことは往々にして、虚しく、苦痛です。

せっかくの一度きりの人生ですから、幸福の相対性を乗り越えていかなければなりません。

僕自身もまだ答えを出せてはいませんが、いくつか幸福の相対性を乗り越える手段を考えました。

まず一つは、考えることをやめてしまうということです。その一瞬一瞬に集中するのです。さきほど、幸福という現象が時間や価値観によって積分することによって相対化されてしまったのに対して、微分を行って、意図的に一瞬の現象を世界の全てにしてしまうのです。考えてみると、その日その日を感情のままに生きる、といったような生き方をして幸せそうにしている人が結構多いことに気がつきます。

もう一つは、幸せの規準を絶対的な普遍性に任せてしまうという手段です。これは簡単に言うと宗教ですね。幸せとは何なのか、ということについて自分では考えることをやめ、自分が信じる絶対的な存在(とするもの)に任せてしまうのです。この方法をとっている人は、言うまでもなく、数でいうとめちゃくちゃ多いですね。

そしてもうひとつは、自分が幸せなことにしてしまう、決めつけてしまう、という方法です。これは一つ目と二つ目の方法の中間といったところでしょうか。たとえば自分の人生というスパンで、「これを成し遂げられたら自分は幸せ、こういう時は自分は幸せ」という定義を自分で決めて、それ以上は考えない、という方法です。自分自身の中に普遍的な価値規準(神)をつくる方法、とも言えるかもしれません。

 

-つらいけどもうしばらくは-

人は自分が幸福であると信じたいものだと思います。

だから、人生の有限性や他者の価値規準は横に置いておいて、上に書いてきたような方法を採用するのだと思います。
自分自信にとっての幸せとは何か、ということを考えるのは辛いものです。

少なくとも、それを考えているということは、完全に幸せとは思えていないということですし、考えた結果として必ず幸せになれるとは限りません。

ですが、僕はしばらくはこのまま悶々と考え続けたいと思います。

上記の方法を採用して、幸せを感じている人を否定するわけではありませんが、少なくとも現状の自分が上記の方法を採用してしまうことは「幸せではない」のです。

今後も、ニヒリズムの陥穽に落ち込まないように気をつけながら「幸せとは何か」ということについて考え続けていこうと思います。