keimaejimaの日記

リクルートでエンジニアやってますが、ここでは情報社会論的なことを書きます

やさしいあなたが幸せになれる社会にしたいです

移住しまっす

僕は3月から伊豆市に移住します。

伊豆市で起業して、伊豆市で暮らします。

といっても週に1回は実家に戻って大学で授業を受けたり、ゼミに参加したりします。

この辺については別でまた詳しく書きます。

 

知らない人と接する機会

僕が住むところは伊豆市の温泉街から少し離れたところで、随分と田舎です。

既にそちらには何度も訪れているのですが、そこで感じるのが東京では見知らぬ人と接する機会が随分と多いなあという事です。

というか、電車など知っている人と一緒に乗る方が少ないです。

一方、伊豆市の僕が住む地域では道を歩いていても自分と関わりの無い人と会う事はまずありません。

その地域の方しかいないので当たり前っちゃあ当たり前です。

 

気を使わなくなる僕ら

そんな東京の中で起こっている現象についてすこし考えてみました。

「自分と関わりが無い人と思う人の中では、僕らは気を使わなくなるのではないか」という事についてです。

例えば、職場や学校、家族など自分と密接に関わりがある集団の中では僕たちは当たり前の様にお互いに気を使い、空気を読み合います。

それはきっと、その集団の中で自分と他者が同じリソースや目的を共有している事を認識しているからです。

それぞれが空気を読まなければ集団の目的は達成されませんし、自分がリソースを得る事が出来なくなるかもしれません。

たとえば、海賊の一味がいたとして、その一味の中の一人が他のメンバーより多くの取り分を得ようとしたらその人は一味から排除されるでしょう。

もしかしたら殺されてしまうかもしれません。

ところが、リソースや目標を共有していないと認識すると、僕たちは集団の中で空気を読まなくなります。

この事は例えば朝、東京のほとんどの駅で見る事ができます。

どんなに割り込んでも、押し込んでも、自分が得をする事はあっても損をする事はないだろうと思っているから、僕たちは我先にと電車へ駆け込みます。

肘で小突いたあの人や、睨みつけたあの人とはもう二度と会う事が無いし、そうした事によって自分がなんらかの不利益を被る事が無いと思っています。

 

なぜ関係ないと思ってしまうのか

なぜ僕たちは電車で居合わせた人を自分に関係ない人だと思ってしまうのでしょうか。

僕はその原因の一つに衣食住のアウトソーシングとあると思います。

現代日本人のほとんどが衣食住の全てを自分のコミュニティー内では直接的に生産していません。

僕たちの命を繋ぐものである「食べるもの」「着るもの」「住む場所」の生産をほとんどの人がコミュニティー外の人に委ねているのです。

そして、それらの生産者と僕たちが日常生活で接する事はほとんどありません。

つまり、直接的に僕たちの命をつないでくれている人と、普段接する人が別なのです。

そうして僕たちは名前も知らない、自分の生活にも関係ない人たちに気を使わなくなっていくのではないでしょうか。

昔のムラ社会では衣食住の生産者と自分がほとんどの場合同じコミュニティーに属していたので、人々が互いに空気を読み合って、秩序が保たれていたのではないでしょうか。(もちろんそれが全てではありませんし、手放しで賞賛する気はありません。)

 

気を使う人が損をする、それで良いのか

個々人が気を使い合わない社会の中では気を使う人が損をします。

空気を読む人が損をします。

電車の中で老人に席を譲った人ではなく、その席を奪いにいった人が得をします。

そんな社会で良いのでしょうか。

僕は良くないと思います。

 

関係ない事は無い

電車で居合わせた人は自分には関係のない人だ。

本当にそうなのでしょうか。

僕はそんな事は無いと思います。

きれいごとかも知れませんが、この世界に関わり合いの無い人はいないと思います。

全ての人間は何らかの形で繋がっています。

「スモールワールド現象」というものをご存知でしょうか。

これは無作為に社会の構成員のうちから二人を選ぶと平均して6人の知り合いを辿ればその二人は繋がるというものです。

昔に比べて繋がりが見えにくくなっているとは思いますが、確かに私たちは繋がっています。

僕が電車の中で見知らぬ人に与えてしまったストレスが巡り巡って色んな人の気分を害していき、いずれ自分に返ってくるかもしれません。

負の感情はもしかしたら僕の衣食住の生産に関わってくれている人のもとに届いてその人の生産性を落とし、結果的に僕は損をするかもしれません。

僕たち人間がコミュニケーションをする生き物である限り、全ての人は繋がっています。

 

世界はまだまだ善くなる

朝の電車でそんなに座りたいのかというと、そうでもないと思います。

本当座りたいのはよっぽど疲れている時だけではないでしょうか。

もし僕たちが「席に座るのは本当に疲れているときだけにして、あとは人に譲るようにしよう。」と決意できたら、世界は少し善くなるかもしれません。

そこで癒した誰かの疲れがいずれあなたを幸せにするかもしれません。

あなたの大切な人を幸せにするかもしれません。

そのように僕らが決意するために必要な事は色々とあると思いますが、僕はまずこの世界が繋がっている事をみんなが意識するようになる事だと思います。

その為の方法としては例えば、自分が暮らすコミュニティーを小さくしてみて、衣食住の生産者と普段接する人を同じにしてみる、「他人」と自分との繋がりを意識する為に知り合いを増やしてみるなどが考えられます。

 

単純に、人の気持ちを考えられる人が損をする世の中は嫌です。

これは頑張りたいです。

 

では

 

p.s.

僕はムラ社会や「空気を読む事」を手放しで賞賛する事はありません。

ムラ社会は没個など多くの弊害を孕んでいると思います。

また、空気を読んでばかりでは何が本当にみんなにとって幸せなのか考える余地が無くなりますし、イノベーションが起きなくなります。

その辺の線引きに関しては「空気の壊し方」という事でまた考えようと思います。