keimaejimaの日記

リクルートでエンジニアやってますが、ここでは情報社会論的なことを書きます

恐怖との対峙の仕方

先の地震による社会情勢の中、自然と、以前読んだある漫画の内容が思い出された。
再読して「恐怖」との対峙の仕方について考えさせられた。

中学生の時に集めていた「ドラゴンヘッド」という作品だ。
ストーリーとしては富士山の噴火、東海沖地震、関東大震災、これらが同時多発的に発生した日本において主人公の高校生が頑張って生きて行くというもの。
集めていた当時はただハラハラドキドキし、面白い読み物として読んでいたが、今回読み直してみてなかなか奥が深い漫画だと言う事に気がついた。

この漫画の全編を通して「恐怖」をテーマとして扱っているのだが、最終巻では恐怖は人間の主観にすぎない。という事が結論づけられている。

本編中には、外科手術によって脳の扁桃体と海馬を切除した「竜頭=ドラゴンヘッド」を持った人物が多数登場する。
彼らは感情を無くした代わりに、いかなる状況にも焦らず、有る意味冷静に行動する。

人類が高度に進化する事ができた理由の一つは、扁桃体と海馬が肥大し、敏感な「恐怖感」を持つ事ができたからだと言われている。
それによって高度な危機回避能力を持つ事ができた者だけが生き残ってきたという事だ。
敏感な恐怖感は小集団では役に立つのだろう。
たとえば、気候の変動を感じ取り、それによって将来に対する不安、恐怖を感じる事ができれば、食料の貯蓄を進める事で集団が将来も維持される確率を上げる事ができる。

しかし、現代の日本社会ほどの集団規模になると敏感な恐怖感はかえって集団の、集団としての存続には赤信号をともす事になる。
先の食料やガソリンの買いだめのように、各個人が、例えば家族という小集団の存続ためにやった事が、その家族が住む地域の人々という集団規模で見た時に必ずしもプラスには働かない、という事が起こってくる。

私たちが、今後小集団以上の規模としての反映を目指すのであれば、恐怖に対しての有る程度の鈍感さを持つ事が必要になってくるのではないだろうか。
そのためには自分の行動が集団に対してどのような影響を与えるのかという事を考えられる、広い視野が必要なのだろう。



ドラゴンヘッド(1) (ヤンマガKCスペシャル (519))